8月15日。
大学三年生のお盆に実家に帰省した。
一人暮らしでしっかりご飯を食べていない自分に、母親は焼き肉を用意してくれた。肉汁を舌で感じることが久しぶりという感じだった。食事中は家族全員で他愛のないはなしをした。何ヶ月ぶりに会えたとか、眼科に行ったとか、インターンのはなしだとか。
食事のあとにお風呂に入った。水道代を気にして、シャワーで済ましがちな自分にとって、お風呂に入れることが嬉しかった。
風呂のあとに、ベットでスマホをいじって、そのまま寝た。
・・・というのは嘘。眠れずに、この文章をパジャマを着ながら書いている。
- 目を閉じて2分ぐらいたったあとに、昔の記憶が戻ってきてしまい、起きてしまった。
- 小学6年生のときに大きなラジカセでFM〇〇を聞きながら、勉強をしている
- ハイキングウォーキングのラジオのコーナーにガラケイで文字を打ち込んで、メールを送っている
- 歩いて小学校に向かっているときにあった青になるのが非常に遅い信号
- 公民館で野球をして、近くの家にボールを入れてしまった
- iPod touchにハマりすぎて、成績が落ちた
- 体力的にも精神的にもボロボロで本当に死のうと思った部活
- なんか好きな高校の部活の部長
- 大学受験に向けて勉強しているときにいた隣のペンの音がうるさい女
- プログラミングを勉強をし始めた
- 実験地獄
- 100記事が消えた経験
- ユニシャーのこと
こんな感じの記憶が、頭の中で再生された。なんどもなんどもなんどもなんどもなんどもなんども繰り返し再生された。
目をつぶっている限りなんども。
再生される記憶が変わると同時に、感情も移り変わる。懐かしいなと思う感情や悲しい感情や嬉しい感情がごちゃごちゃになり、心が壊れる気がした。
そんな記憶と感情の移り変わりが収まることがないので、自分は目を開けた。
目の前には8歳のときから変わらない天井が映っていた。その天井を見ることで、8歳のときから現在までの記憶が再生される。目は天井を映しているのだが、頭の中では中学生の記憶が再生される。それと同時に感情も移り変わる。
もう心が壊れる。つらい記憶ばかりでない。でもつらいのだ。なんでだ、もうつらいつらい。
そんなのが8分続いたあとに、なぜつらいかわかった。
「もう一生体験できない経験だから」
当たり前のこと。本当に当たり前のこと。
もう小学校のときの体型、考えで好きなラジオにメールを送ることなんてできない。もう中学生のときの体型、考えで公民館で野球ができない。
こんな当たり前のことがつらいのだ。
よくある「なにも考えずに遊べる小学生に戻りたい」みたいな感じとは少し違う。
今が楽しくないから現実逃避しているかと思ったが、別にそんなこともない。
今もそこそこ楽しい。ただ「もう一生体験できない経験」なことがつらい。もうどうしようもないことなのはわかっている。たからこそ、記憶を再生させてくれるのかもしれない。
実は今回ほど強い衝撃でないが、急に記憶を思い出したり、記憶を再生されたりする経験が大学生になってから頻繁に起きている。
これは、もう一生体験できないから記憶を再生してくれているのでないだろうか。
ではその意味はなんだ。そんな意味を考えているときに、頭の中でこんなことがいわている気がした。
もう一生体験できない経験を再生するから、その記憶を思い出して、感じたことをすべて言語化してください。あなたは物書きです。一番物書きに大事なのは経験です。でもどんな経験をしたか覚えてますか。覚えていないかもしれません。そこで私が再生します。
こんなこと言われている気がした。
まあ憶測だけどね。すっきりしたよ。
地元のラジオを流しながら眠ることにするよ。
では今の時刻、2時02分にタイピングは終了する。ではまた。この記事を書いた記憶ものちのち再生されるだろうが。
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